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一走懸命

H31.1.16

第180号

 今朝もいつものように6時過ぎに学校に着いたのであるが、いつものO先生の姿は無く、学校を開けることになった。それでも体育館から灯りが見えたので、確か昨日からハンドボール部の合宿であったことを思い出し、激励がてら体育館へと向かった。まだ眠そうな目をこすりながら、一生懸命に取り組んでいた。

顧問のN先生も朝早くから熱心に指導しておられた。まだ新婚といってもいいくらいなのに…。頭が下がる。子どもたちも日々の練習は辛いだろうが、指導者だって辛いに違い無い。自分がバスケットボールを指導していた頃を懐かしく思い出す。確かに正月一日から練習であった。

だからこそ大会ではなく普段のこんな日の努力を、しっかりと校長としてこころに留めておきたいと思う。日々の子どもたちの努力を知らずして、指導者の苦労を知らずして、ハレの日だけを見て「ご苦労様!」では、かつて部活動の指導をしていた自分としては情が無いと思う。がんばれ!子どもたち!N先生!

体育館からの帰り、ピロティにある県駅伝のポスターの「一走懸命」というフレーズに目が止まった。野球では「一球入魂」というフレーズが一般的であるが、駅伝は「一走懸命」か…。何かいいなあー、ピッタリと来るなあーと感じた。「一球入魂」は、その瞬間に全てを込めて投げる。魂の籠もった投球。それに対して「一走懸命」は、自分の走りに継続的に魂を籠める。時間的継続を感じる。なかなかいい。洒落ていると思う。

「一走懸命」。自分の生き方もそんなふうであれたらシアワセだろうと思う。脇目もふらず目の前に居る子どもたちのためにひたすら懸命に尽くす。そうありたいものだ。確かに人生はよくマラソンに喩えられる。一瞬の風のごとく、ただ純粋にこの道を懸命に走り続けたいものだ。

昨日は同級生の日ハム球団社長竹田さんが帰郷していた。「会えないか?」と連絡が来たのだが、今は本校は入試関係の仕事の真っ最中、上手く都合がつかなかった。会えば必ず私の生き方の刺激になる友人である。そういった面では、何とか都合をつけて会いたかったのだが…。

私のように狭い社会の中で生きている人間にとっては、様々な視点で広く社会を知って日々生きている彼からもっともっと刺激を受けて生きて行きたい。この情報社会必ず顔を合わせて話さなければ学ぶことができないという訳ではない。あらゆる機会を通して、また彼から学びたいと思う。日々是学びである。

私の大好きな風のように、「一走懸命」に生きよう!


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三連休

H31.1.15

第179号

 この三連休中に久々に花屋へ行って、ミニバラを買った。校長室は、先日教え子から貰った花があるのだが、職員室の机の上は新学期からちょっと淋しい。そこで元気を出そうと黄色にした。少し華やいだ気分になった。やはり花があるのはいい。

それにしてもこの三連休は身体が空いているようでしっかりと一日空くということがなかった。推薦入試、左義長、成人式…。毎日何か行事があり、その都度何らかの対応が迫られた。ぼんやり一日を過ごすことがないので、いつの間にかストレスが溜まってしまっている。昨日はぼんやり過ごす筈だったが、法人化のことや田上がりの旅行のことなど、色々と考えなければならないことがあった。

それでも殆どが誰かに頼って成り立っている。やはり人は一人では生きられない存在なのだろう。互いが互いに譲り合う精神を忘れたら、きっと日々の暮らしはもっと殺伐としたものになるに違い無い。ともするとこの世には自分一人しかいないような自分勝手な思いに陥りがちであるが、「生かされてここにあるのだ」ということを、忘れないようにしたい。

さて昨日の成人式、各新聞のコラム欄を読むのが楽しく、私の新年の楽しみの一つである。

脚本家の山田 太一さんの言葉。

「『君たちには無限の可能性がある』が苦手だそうだ。『大人が若者を無責任に励ましているようで本当にいやな言葉だと思います』とまでおっしゃる。第一にリアリティーがないという。人生はままならぬ。だれもが無限の可能性を生かして成功を収められるわけではない。能力も同じでもない。運もある。その言葉は失敗した人に向かって無限の可能性があったのに『その分の努力が足りなかった』と言うのと同じではないかとおっしゃる。」

何かすごく分かるような気がする。もしかしたら私のような職業の人間は、この言葉を子ども達に向かって軽はずみに使って、励ましているようでむしろ無責任に子どもたちを傷つけてはいなかったか?反省させられる。

私の学生時代のバイブル。高野 悦子さんの「二十歳の原点」を取り上げたコラムもあった。

「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」

この言葉を何十年ぶりかに目にしたとき、何だか身体が震えた。と同時に、青春時代の悶々とした日々が蘇った。「果たして自分とは何か?」。そんな問いに真摯に応えようとしたかつての自分の姿を思い出した。

「私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。『高野悦子』自身になりたい」。彼女の真摯な問いかけに私自身が悶々と過ごした日々は、もう忘却の彼方…。私は堕落したのだろうか…。

先日観た「ボヘミアン・ラプソディ」の中に、印象に残った台詞がある。それは「俺が何者かは俺が決める」という台詞である。ともすると情報過剰な現代社会において人は、必要以上に他と比較して自分を見失う。自分は自分である。私は私である。そうこころの中で叫びながら、傷ついている。そう「そのままでいいんだよ。あなたはあなたで…」。信じることだ。

この写真のシャッターを押したのは

多分、お父さまだが

お父さまの指に指を重ねて

同時にシャッターを押したものがいる

その名は「幸福」

大好きな詩人 吉野 弘さんの詩を贈ろう。

 

 

 


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穏やかな日に…

H31.1.12

第178号

 今朝は穏やかな日になった。快晴というわけには行かないが、それでも昨年の大雪と比べると随分と良い日である。今日一日混乱も無く、受験生の子どもたちにとって自分たちの持っている力を十分に発揮してほしい。勿論、迎える側も受験生のみんなが、不安無く一日過ごせるように万全を期している。

受験生が校舎内で迷わないように案内板を随所に設けたり、在校生や先生方も学校内の至る処で案内している。また、各教室も朝早くから暖房し、暖かい教室で受験できるよう準備している。駐車場もスムーズに流れるように、毎年先生方が案内している。

後は受験生を待つだけである。試験をしっかりと受けて貰うことは勿論のこと、この高岡向陵高校が、受験してくれた子どもたちを気持ちよく迎えてくれた、そう思ってもらえるようしっかりとこころを込めて迎えたい。こころが相手に伝わってこそ、本当の意味でここ高岡向陵高校の良さを認めてもらえるのだと思う。

今日は校長以下全員で、真心を込めて子どもたちを迎えたい。

さて、お知らせである。1月19日(土)、1月20日(日)高岡文化ホールにおいて本校の文化部展が行われる。美術部、書道部、華道部などの子どもたちの作品が展示される。いずれも子どもたちが渾身の力を込めた力作揃いである。是非足を運んでいただければ嬉しい。

また、在校生の皆さんも、この機会に仲間の作品を眺めながらこころを豊かにしてほしい。様々な作品はきっと観ているだけで、皆さんのこころを和ませたり楽しませたりしてくれることだろう。そんな経験を沢山している方が、きっと生き方を豊かに潤してくれるに違い無い。そんなふうに思う。

一時ゆっくりと鑑賞してみませんか?こころからお待ちしています。