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一言

R1.11.21

第147号

 先日スクールバスの見送りをしていたら、一人の男子生徒が私に近づいて来て話しかけて来た。「校長先生、南条小学校の校長先生しとったやろ?」。「えっ!1年生やろ?そんなことどうして知ってるの?お兄ちゃんか、お姉ちゃんから聞いたの?」。「校長先生、その時僕一年生だったん」。「えっ!そしたらプールとかで一緒に泳いだり、飛び込んだりしてたの?」。「そこまではあんまり覚えてないんやけど、確かにその時の校長先生やと思って声掛けました」。

直ぐに頭の中で計算してみた。だとすると彼は当時小学校1年生である。小学校1年生の時の校長先生を思い出せと言われても、私は思い出せない。最近では担任が誰だったか、昔は覚えていたような気もするが、今では思い出せない。

そう考えると、本当にありがたい。そしてたまたまでも、こうやって一言声を掛けてくれた子どもにこころより感謝したい。ありがたい。

それにしてもこんな一言を貰える、この仕事は本当になかなか無いものだと思う。そうそう先日こんなこともあった。突然近づいて来た女子生徒が、「校長先生のそのネクタイ私好きです!似合ってますよ!」。60歳を過ぎた爺さんに、こうやってお世辞でも一言掛けてくれる。そんな子どもって貴重でステキだと思う。

子ども達とは廊下ですれ違う際に、挨拶したり、一声かけたりの関係で、実を言うと名前もクラスも知らない子ども達も多い。それでも日々こうやって子ども達と一言を交わすことで、私自身のこころが豊かになっていく。そんなふうに感じられることは、ありがたい。

一方で声を掛けても、その一言がなかなか返って来なかったり、服装について「直そうね」と優しく声を掛けたりするのだが、全く反応が無い場合もある。何処かでこころが、貝のように閉ざされているのだろう。きっと大人である、教師である、私の一言が、こころに届かないことに原因があるのだろう。

こころは北風では溶かすことが出来ない。太陽のような温かさが必要なのだと思う。まだまだそんな想いが、私の一言には足りないのだと思う。

昨日の日めくりカレンダーにこんな言葉があった。

「たった一言が 人の心を傷つける。たった一言が 人の心をあたためる」

昨日私は、何人の子ども達のこころを温めることが出来ただろう?

今日私は、何人の子ども達のこころを温めることが出来るだろう?

 


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優しさ

R1.11.20

第146号

 いつもの雑誌の表紙の裏に、「去る人より 残る人のほうが きっと寂しい」とあった。この年になると随分出会いと別れを繰り返しているのだが、確かにそのステージそのステージで思うことは「寂しさ」である。そしてこの言葉は、いつもその都度思い浮かぶ。私自身は、「残る人」になったことも、「去る人」になったこともあるのだが、その寂しさの度合いは別にして、寂しさという面では同じに思える。

きっと「去る人」は、新たなる出発に向けてということなのだろう。そうでなければ寂しさは、どちらにも残るもののように思える。「去る人」は残る人を想い、「残る人」は去る人を想う。そんな人の想いが美しい。

学校はもう少しその季節は先になる。桜花開き桜咲く季節には、少し早い。桜はその季節に向かい、今は休眠している。目指す季節は休眠打破。その時まで、今はエネルギーを補充している。

休眠は名ばかりなのは桜だけではない。子ども達も来たるべき季節に向かって、今新人大会は真っ盛りである。先日は女子バスケットボール部が、呉西地区の学校が集まる大会で初めて優勝した。いくつかの強豪が出場していなくとも、「優勝」は嬉しい。まして聞くところによると創部以来初めての快挙となると、喜びもひとしおである。

早速顧問の先生と子ども達が、校長室にその報告に来てくれた。校長室に入ると直ぐに制服のリボンをきちんと整え、上着のボタンを留める。そんな行動が初々しい。やはり勝つことというのは、あらゆる面で子ども達を成長させる。

笑顔で、そして生き生きとした表情で、試合の報告をする子ども達に、ステキだと感じた。こんな経験を、向陵生に沢山させてあげたい。そんなふうに思って一生懸命に子ども達を指導してくださる先生方は、学校の大切な財産だと思う。ありがたい。

なんだかここでも急に寅さんの言葉が思い浮かんだ。

「赤ちゃんを抱えたママさんが苦労してるんだ。サラリーマン諸君が大変なのはわかるが、どうぞママさん、楽をなすってくださいなと言いな。で、自分はラッシュで揉みくちゃになるんだ」

優しさって・・・?そう思われませんか?


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活躍

R1.11.19

第145号

 立冬を過ぎてなお頑張っているコスモスの花を見つけ、少しだけいただいて職員室の机に飾った。飾って眺めてみると、花びらが一枚足りない。それを見て寂しさよりも、随分とがんばっていたのに手折ってしまい申し訳なかったと感じた。それでも沢山の人に愛でて貰えば、きっとこのコスモスも喜んでくれるに違いない。命の限り自らの持てる輝きを放とうとしているコスモスに、教えられることは沢山ある。そんなことを今朝は思った。

さて、この時期来年度に向けて新人の大会が行われている。その大会においても、子ども達が一生懸命に取り組み好成績を収めている。昨日はレスリング部の久保先生が、「校長先生、レスリング部の子ども達、北信越選抜大会の成績報告に校長室へ行ってもいいですか?」との話があった。

勿論もう大歓迎である。お昼の時間帯に三人の子ども達が報告に来てくれた。その中で二年生の二人は、三月に開かれる全国選抜大会に出場するとのこと。是非とも来年度の大会につながるように、納得のいく試合をしてきてほしいと思う。称賛と激励の言葉を贈った。

今日は呉西地区大会で初めて優勝した女子バスケットボール部も、校長室に報告に来てくれる。学校内で出会った女子バスケの子ども達に、「優勝おめでとう!初めての優勝やし、格別やろう?」と声を掛ける。すると、「嬉しいんですけど、校長先生、呉西地区の全ての学校が参加したわけじゃないんですよね」と返ってきた。それでも「全部の学校が参加していなくても、優勝って嬉しいやろ?」と聞き返すと、「そりゃ嬉しいですよ!」と元気に答えてくれた。

そんなたわいのない会話が嬉しい。指導者はどんな大会であっても、子ども達に勝たせてやりたいと思っている。そのために一生懸命に技術のみならず、精神面を鍛えるスキルも学んでいる。だが、そのことが常にうまくいくとは限らない。子ども達と心が通い合うには、時間と手間がかかる。それを惜しんでいては不信感のみ募るものである。

そうならないように部活動のみならず、学級経営においても研究に努力しなければならない。昨日は職員会議の後、12月11日に行われる研究会に向けての学年別の研修会も行った。この研修が始まって今年で4年目。公開研究会が始まって、3年目。いよいよ成果が問われる年である。

先日の校長会でも、いくつかの私学の校長先生方から、「校長先生の処の公開研究会に行かせて貰うちゃ。やっぱり高校で道徳やってるとちゃ無いから、一度は見ておきたい」。そんな言葉もいただいた。本当にありがたい。

見ていただけることで、子ども達も先生方も成長する。大変かもしれないが、苦労無き所に成長はあり得ない。3年目を迎えるこの公開研究会を一つの節目として、子ども達も教職員一同もステップアップしたいものだ。そんなふうに考えている。ありがたい。