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私が目指している学び

H29.12.12

第154号

 南砺市の城端に近い処に住んでいる私は、通勤距離は優に30㎞を超える。時間にして1時間は常にかかる訳で、今朝のような天候だとゆっくり走る車がいてその後ろにどんどん繋がると、大体10分程度はいつもより遅れる。それでもこれは自宅を6時前に出るからで、これが7時過ぎとなると時に30分以上余計にかかることもある。

 それだけではない。今朝は高岡へ着いて驚いたのだが、雪の量が全く違う。私の方はしっかりと除雪せねばならないくらいの積雪があった。まして田舎の家なので国道から家までの宅道が50mくらいあることから、これを除雪する労力も半端ではない。

 今朝も少しくらいは体力作りだと、除雪機も使わずにスノーダンプで久々に除雪した。ところがやはり歳のせいか、自分が思っている以上に体力の衰えは進んでいるようだ。途中随分息が切れてしまった。歳を考えて休み休みやることが肝要と今朝は熟々感じた次第である。

 学校内には駅伝のポスターも貼られていて、駅伝部の子供たちの応援態勢も整いつつある。また生徒会が企画した学校内の年賀状を出し合うポストも設置され、いよいよ今年も終わりに近づいているのだと感じる。

 また明日は、いよいよ本校で初めての公開授業研究が予定されている。本校の公開授業の特徴は、教員のみならず企業の方々への公開が行われることである。先生方への授業公開は何処の学校もしているのだが、本校はこれから子供たちがお世話になるであろう企業の方々が授業を観られてどのような感想をお持ちになるかも大事なポイントだと思っている。そのため授業後の講演も敢えて文科省の方や大学等の先生ではなく、企業人であるショウワノートの片岸 茂社長様にお願いした。演題は「常識に拘泥されないアイディアと努力」であり、今一番学校にも求められている力だと考えている。今から講演も楽しみである。何か別にお土産も準備されているようで、益々気持ちが高揚している。今からでも、いや当日飛び込みでも結構なので、是非この機会に「高岡向陵ちゃ何処にあって、どんな教育しとるがけ?ちょっと観に行って来んまいけ」と誘い合って来ていただければ、お菓子とお茶くらいは準備しておく積もりでいる。

 さて、私が来年度「未来デザイン科」で子供たちに取り組ませようと試みている、「自分でカリキュラムを組んで、自ら学ぶ時間」通称「白紙プログラム」で目指している学習を、きちんとお茶の水女子大耳塚教授が教育誌にまとめていた。耳塚先生と富山県とは深い繋がりがあり、若い頃から何度かお話しを聞く機会があったのだが、今回のこの記事はまさに同感である。そのような学びを考えずしてアクティブラーニングなど、つまらないお話し合いでお茶を濁した学習になりかねない。

 私はまさに同質でない様々な背景を持った子供たちが集まる本校だからこそ、現実的で厳しい他者理解の学習が可能なのではないかと考えている。

 「日本の子どもの成績が高いのは、小中学校で行われている話し合い学習の成果だ。しかし、ここでの他者は、価値観や文化的背景を同じくする「同質的他者」だ。例えば、話し合い学習で正論にこだわれば、「空気が読めない人」として敬遠される。大人社会でもよくあることだ。しかし、歴史的・文化的・宗教的な背景が異なる人々が集まるグローバル社会では、「異質的他者」と対話して協調しなければならない。同質的他者同士の対話と協調を前提とする日本の子どもたちが、果たして異質的他者と本当に協働できるのか。(略)例えば、話し合い学習の場面を思い出してほしい。『みんな仲良く、同じ目標に向かう』ことが当然視されていないか。教員が用意した予定調和に向かって、子どもたちは進んでいないか。グローバル社会は、みんなが仲良くできる『お花畑』のような世界ではない。理解し合えない者同士が、ぎりぎりのところで決定的対立を避けて、折り合いをつけながら生きる社会だ。『自主的・対話的で深い学び』で本当に求められる力とは、みんな仲良く一丸となって同じ目標に向かって進む力、つまり同調圧力に順応できる力ではない」

 全くその通りだと思う。現状のままのALを続ける限りは、またまた学力低下論争に巻き込まれるだろう。二十数年前目指したところは、まさに耳塚先生の指摘されている学びであったはず。だから「質の高い学び」と、言い続けて来た筈だった。しかし現実は耳塚先生の指摘通りのものになってしまったように感じる。

 だから私は今こそこの高岡向陵高校で、耳塚先生のいう矛盾や理解し合えない部分を内包しながら異質的他者と折り合いをつけながら一致点を見出していけるような、そんな学習を子供たちと共に築いて行きたい。大切なことは違いの中から、異質の中から、一致点を見出すこと。つまりこれが対話であり、学びなのだと思う。最初からある一致点や共通点を見つけ出し、「はい、良かったね。仲良くできたね。シャンシャン」これは学習ではいだろう。少なくともこれからの日本人に必要な資質を学んでいるとは思えない。

 共に創り上げよう。向陵生諸君。


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いつも助けてもらっている

H29.1211

第153号

 若い頃いつも思っていた。いつかきっと色んな心配事や悩み、辛いことから解放されて穏やかな日常を過ごすことができるのではないかと…。そんな日が年齢を重ねると共に、ちゃんとやってくるものだと。どうもそれは私の思い違いだったようで、幾つになっても人という存在は煩悩がつきまとい樂にはなかなかなれないようだ。月曜日になると「ああー、これからまた一週間が始まる」と思い悩み、週末を迎えると「ああー、地域の仕事が待っている」そんな日々の繰り返しで、自分らしさは何処にあるのかなどとこの歳になっても思って気が重くなる。

 それでも先日相談室で話していると、「校長先生、これあげる」。何処かの観光地のお土産であろうか。そのお菓子の美味しさよりも、そうやって私に一声掛けてくれるその優しさに癒されている。この寒い中いつもピロティのベンチに座って何人かでお昼を食べている1年生がいたので、「そんな寒いところで食べていないで、一度校長室で一緒に食べようか」。そんなふうに声を掛ける。

 すると「行く行く!私ら校長室へ入ったことないし、校長先生入れてくれるが?」。ちょうど前のソファーからちょっぴり良いソファーに変わったこともあり、校長室のソファーに座って子供たちは大喜びであった。

 「校長先生の弁当、沢山詰まっとるね。校長先生は自分で作るんけ?」。「違うやろ!奥さん作るんやろ!」「えっ!校長先生奥さんおるがけ?」。「何言うとるがけ、校長先生子供もおるやろ!」。たわいのない会話が止めどなく続く。

 そんな一時が、どれだけ私のこころを軽くしてくれることか…。「ところでみんなは進路のこと考えているの?」。そう尋ねる。「私は保育士になりたいと思っている」。「私は介護士。お母さんもそうやから」。「まだ具体的には考えて無いけど、短大か専門学校へ進みたい」。

 子供たちは私が想像していた以上に、一年生から自分の将来をしっかりと考えている。もしかしたらそれに気づいてもいないで、彼等の夢をマイナスの方向に向けているのは案外大人なのかも知れない。「そんなことしていて…」。「あんたに…」。「もっとこうせんにゃ…」。よくよく考えてみると、そこに「思いやり」の一言はあったのか?子供を尊重する意識はあったのか?そんなふうに思えてくる。

 本当にいつも子供に助けてもらっているのは、私。指導しているようで、自らの在り方を指導してもらっているのは私。そんなことを強く思う毎日である。

 五代目 板東 玉三郎さんの「今日の答えを積み重ねていく」という文章の中に、印象に残った部分があった。

 「今まで舞台をやってきて、『今日は完璧だった』と思ったことはありません。あったら辞めているのではないでしょうか。芸術の神髄がわからないからやっているのです。『今日はあそこをもうちょっとこうすればよかった』という反省はあります。今日の答えはある。でも、芸はこういうものだという答えは見えません。私は目標なんてもたないほうがいいと思っています。若いときは、あの役をやりたい、この役をやりたいと希望をもつことは大事かもしれませんが、それを絶対にクリアしなければいけない目標だと定めてしまうと、到達しなかったときの挫折感が大きいでしょう?それより、今日の答えを積み重ねていくほうが大事なのではないかと思っています。それを見てくれている人は必ずいますから」

 「芸」を「教え」に読み替えると、不遜かも知れないが何か通ずるものがあるように思える。教育の神髄などわからない。でも今目の前にいる子供たちと共に今日の答えを一生懸命に出し続けることが、今一番大事なことなのだと思う。

 何ができるかなどやり続けない限り答えは出ないに違いない。もう一頑張りしてみよう。きっと日々の答えは、子供たちがもたらしてくれるから…。


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上を向いて歩こう!

H29.12.8

第152号

 今日の日付を打ち込んで、ああー日米開戦「トラトラトラ」の日だと思った。一応これでも私の専門は社会科なので、高校生の皆さんにはこの12月8日くらいは覚えておいて欲しいと思い、ここに記した。

 いつもこの「校長室だより」が、「50号」とか「100号」など、節目の号数になると「先生○○号達成おめでとうございます!」と連絡をくれる元同僚がいる。またそのK先生は、「今度美味しい新酒が店頭に並びました。先生も如何ですか?」とまるで何処かの酒屋さんの営業マンのようなメッセージを送ってくる。嬉しい!そしてありがたい!何処かで誰かが自分のことを気に掛けてくれているというシアワセは、私にとって何物にも代え難い。

 他にも昨日は千葉の市船のK監督が、「先生、先生のお陰様で母校に子供たちを連れて、その学校の5、6時間目に講演することになりました。また、母校の図書室に自分の書いた本を置くことになりました」嬉しそうに50歳になるのに、子供の頃と同じ弾んだ声で電話をして来た。嬉しかった!

 そして今日は本当に嬉しい出来事があった。それは「県内の他校の高校生からのメッセージ」が、この「校長室だより」宛に届いていたことだ。真摯なその問いと生き方に、私自身が感動している。そして教えられている。私なりに一生懸命に返事をさせていただいた。ありがたい。

 今朝は昨日届いた「PHP」に、「人生、前を向いて歩こう 明日は必ずよくなる!」というタイトルに惹き付けられた。早速特集に目を通す。「今いる場所に、光りを見つける」。うつみ宮土理さん。ケロンパのインタビュー記事だ。

 「それからもう一つ、私の心をいつも前向きにしてくれるものがあります。それは、母から教えられた『ありがとう』の言葉です。『私の娘でいてくれて、ありがとう』母はよくそんなことを言ってくれました。(略)『ありがとう』の言葉を伝えると、『ああ、私はいろいろな人にお世話になっているんだな』と謙虚な気持ちになれます。そして、『きっとこれからも、ありがとうと言える人と出会うはず』と明るい気持ちになれるのです」

 そう「ありがとう」は魔法の言葉。まだまだ昨日一日で「ありがたい」ことが沢山あった。勿論それと同じくらい苦しくて辛いこともあった。でもどちらも私が「生きている証」ととらえれば、みな「ありがたいこと」なのだと思える。感謝!

 突然あの名曲が脳裏に浮かんだ。

 ♪ 上を向いて 歩こう 涙が こぼれないように ♪

 どんなことがあってもポケットに手を突っ込み口笛を吹きながら、上を向いて歩いて行こうか知らん。