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待つ

R2.1.24

第184号

 もう一月も終わりというのに、天からの白い使者は未だ地上にはあまり姿を見せない。少し寂しい気もするが、遠方から通勤している我が身にはすこぶる快適である。雪が遅い年はあっても、大概は一月の中旬位からかなり寒くなり下旬辺りには積雪といったケースが殆どである。それでも私立入試の一般入試の際に、どっと雪が降ることもあった。これから一般入試を控えている本校としても、十分に気を付けて対策を考えておかねばならない。

今朝も華道部の二人のSさんの飾ってくれた花々が美しい。来賓玄関、そしてピロティはそれぞれ華やいだ雰囲気で私を迎えてくれた。そんな花々を眺めながら、全ての子ども達にこの花々の様に明るくステキな未来が来ますようにと祈らずにはいられない。花々は言葉を持たないが、それぞれがそれぞれに何かを語り掛けて来る。ありがたい。

先日新聞のコラムに、「歌会始の儀」で一般入選者の中学校教員 柴山 与志朗さんの歌が朗詠されたとあった。その歌は数十年前の初任校で、生徒が嬉しそうに話したことを思い出して詠んだものとあった。

望の日は 漁師の父が家にゐて 家族四人で 夕餉を囲む

満月の日は、集魚灯に魚が集まらず、漁ができない。だから家族が揃う。そんな夕餉のひとときを、生徒は心待ちにしていた。シアワセはいつも自分の身近にあった。そこには「待つ」ことのシアワセがある。

昨日も図書室から一冊の本を借りて、夜遅くまで読んでいた。歳をとったせいか昔読んだ山本 周五郎さんの本なども再び読みたくなる。何しろ短編集であるのが、私には心地よい。シリーズ一巻目の題は、「待つ」。

市井の人々の優しさを、これほどまでに見事に描く作家は稀である。少なくとも私にはそう思える。一編一編の短編は、何処か幸せを予感させる。贅沢でなくつつましやかに、それでも人さまの情にすがりながら、また情をかけながら、その場所で、その時に、精一杯生きる。新しい服ではなく、高価でもないが、何度も何度も洗ってはいるが、そこには生活の中で染みついた何にも勝るステキな香りがある。そんな感覚があるように私には思える。清潔で上品。

山本 周五郎さんの小説には、現代人が忘れた何か重要なものがあるように思われる。自分の分を忘れず、一生懸命に自らの人生に誠実でさえあれば、そこに人は必ず幸せを見出すことが出来るのだろう。いつも誰かを、何かを「待つ」のは、「待つ」ことがその人のシアワセを予感させるからなのだろう。

あいたくて        工藤直子

あいたくて
だれかに あいたくて          
なにかに あいたくて
生まれてきた──
そんな気がするのだけれど

それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか──
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている

それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから

あいたくて


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図書室の本から

R2.1.23

第183号

 今朝は月に一度の通院の日。もう病院通いは20年を超えた。治る見込みのが無いのならば、しっかりと付き合っていくしかあるまい。中でも血圧はどうしても寒くなると高くなる。今朝もやはり他人が聞くとびっくりするような値であった。まあー、一喜一憂せず気長に付き合っていくしかないようだ。

さて、最近は学校の図書室にはまっており、昨日も休憩中に2冊本を借りて来た。どうしてもサラッと読める本に目が行ってしまう。また、中高生の教員ということから、学校生活を描いたものを手にしてしまう。

昨日手に取ったのは、濱野 京子さんの「この川のむこうに 君がいる」という題名の本である。勿論図書室に行くまで恥ずかしながら、執筆者の濱野さんのことは知らなかったし、書名も聞いたことが無かった。それでも手に取って少し内容を眺めると、面白そうだと思えた。

早速家で読んだ。主人公の女子高生 岩井梨乃は、知り合いのいない東京の私学を受験し、そこで新しい学校生活を始める。こう書くともう大抵の人は「何で?」と思うようである。

だが、長年教員生活を送った私は、こんなケースがままあることを知っている。知り合いがいないことこそ、心の安定が得られるのだ。普通は知っている人がいる方が安定するのでは?と思われがちだが、そうではないのだ。ここで私は「普通」とあえて書いたのだが、そろそろ私達大人の考える普通を疑った方がいい。

多分決まって私達大人の言う「普通」は、私達大人にとって都合のいい「普通」である。そんなことを私たちは、もうとっくに知っていたのかもしれない。認めないように、見ないようにしていたのかもしれない。

そしてそれは大人だけでなく、多くの子ども達も含めてそう思うことで心の安定を得ていたにすぎないのかもしれない。

やがて読み進めるうちに、主人公の梨乃はあの大震災の日に東北で暮らしていたことが分かる。純粋で無垢なる他人からの思いやりや同情が、梨乃を傷つける。悪意のない想いが、その絶対的な善意ゆえに人を思いっきり傷つける。「そんなこと言わないで。そっとしておいて」の一言をも言うことを奪ってしまう。

そんなことを感じさせられる。ある日、福島出身の遼と出会う。遼もまた傷ついていた。吹奏楽部の優しく個性的な面々と共に、傷ついた梨乃のこころも徐々に・・・。

一気に昨晩読んだ。向陵生諸君も卒業までの3年間、一度は図書室で本を手に取ってほしい。校長からのお願いである。読書は想像力という翼で、皆さんの世界を何倍にも何十倍にも広げてくれる。いつも応援している。


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メッセージ

R2.1.22

第182号

 今朝学校に着いていつものようにコンピュータを開くと、そこにはメッセージが届いていた。本当にいつも私の「校長室だより」を読んでいただいて、こうやってメッセージをいただけることはこの上ない喜びである。私はこのメッセージを常に私だけのものではなく、この向陵高校の子ども達全て、そして教職員への応援歌だと受け止めている。だから教職員の朝の打ち合わせなどでも、何度か紹介させてもらっている。

メッセージは、心の花束だと言っていい。飾られた花々の様に目に見えることは無いのだが、だからこそ人のこころを美しくするには持ってこいなのだ。子ども達を健やかに育むには、乱暴で下品な言葉を投げかけることは禁物である。美しく温かで上質の言葉を、まるでシャワーの様に子ども達の全身にかけてあげることが大切である。よく子ども達の人格を認めることが大切だとなどと教育評論家と言われる人たちがテレビで語っているが、「人格を認める」というような美辞麗句ではなく、言葉を整えることがまず先であろう。言葉は言霊。それは心を整える。

朝からこうやって美しい言葉に出会うことが毎日できたら・・・。それだけで、子どもはきちんとしっかりと育つに違いない。自分の子育てをさておいて、そう思う。本当に今朝はそんな気持ちにさせていただいた。ありがたい。

来賓玄関の窓口には、見事な赤のシクラメンの鉢が飾られていた。燃えるような赤に迎えられると、気力が湧き上がってくるようだ。花言葉は「嫉妬」。私としてはちょっと残念なのだが、嫉妬心もそれが「あいつには負けたくない」という競争心に転換出来れば、素晴らしい。因みに白は、「清純」、ピンクは、「憧れ」だそうだ。どちらもちょっといい。そうそう、この花言葉だって、ちゃんとメッセージである。ありがたい。

昨日は校内を回っていたら、2年生が修学旅行の事前学習を行っていた。グループになってワイワイガヤガヤ。どの顔を見ても笑顔笑顔である。今年は今までとは変更して、沖縄とシンガポールの二つに分かれての修学旅行となる。どちらも大切な仲間と行く大事な旅行である。一生懸命楽しみながら、「何を食べようか?」、「何処を見てこようか?」、「名産は何か?」、「お土産は?」等々、青春の貴重な1ページになるであろう修学旅行の学習をしっかりと行っていた。先ずは安心である。

三年生は就職が決まって、いよいよ旅立ちの時を迎える者。センター試験が終わり、自分の目標の大学合格に向けて最後の追い込みに入った者。様々である。それぞれがそれぞれの旅立ちに向けて精一杯に努力している様は、美しい。こちらも心から応援したくなる。ガンバレ!

今朝の日めくりには、「実力の差は小さい。努力の差は大きい」とあった。こう付け加えたい。「努力」は、きっとあなたの可能性を拡げ、あなたの想像を超えた世界を見させてくれることになる・・・と。

ここにいて、いつも応援している。