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小春日和

H30.11.21

第149号

 二三日前家にあったカーネーションを校長室に飾った。もう随分前から家に飾ってあったものだから、そんなには咲いていてくれないだろうと感じていた。それでも一つ消え、二つ消えしながらも、僅かだが花は咲き私を和ませてくれている。枯れる間際の花の美しさ、そんなものに教えられ心惹かれる日々である。そうなれるよう自らの生をしっかりと見つめながら生きなければならない。

先日新聞のコラム欄に国木田独歩の短編小説「小春」の一文が紹介されていた。初老の男と青年の会話である。

「人の一生を四季に喩えるようですが、春を小生わたしのような時として、小春は人の幾歳位に喩えて可いいでしょう」。初老の男が答える。「君が春なら私は小春サ、小春サ、いまに冬が来るだろうよ」ー。

小春は冬の季語だ。11月の半ばすぎから12月初めの春に似た穏やかな日和をいう。男の「今に冬が来る」の一言は、何だか哀しく淋しい。それでも迫り来る冬を想像するという立場は、今の私よりもシアワセかもしれない。

予報によると今日は朝方は寒いのだが、日中は日差しがあり晴れるようだ。さしずめ小春日和になるのだろうか。こんな日に過ぎ去った過去を追憶することもいいかもしれない。来る冬はそんな時間が十分にあるようだ。

今日のある新聞のコラムにも「懐旧の思い」という表現があった。この歳になると随分この言葉に親しみが湧く。

「夕日や夕焼けは、郷愁を誘う。若い間は明日を思うが、歳を重ねると懐旧の思いが膨らむ」。何だか季節柄なのか、自分の歳のせいなのか、余りにもぴったりする。

さて学校では若き高校生たちが幾分自分たちのエネルギーを持て余し気味で、ついつい脱線してしまうこともしばしば。それでも自らを向上させようというこころさえ失わなければ、自分を自分で見捨てることさえしなければ、きっと明日は来る。そこに光りを見出すことはできる。そう確信している。

昨日は1年生の子どもたちが各業種で働いている方々から、その業種で働く魅力、苦労、そして生き甲斐など詳しく聞いて学んだ。目を輝かせて話を聞く子ども、身を乗り出して耳を傾ける子ども、そんな姿を眺めながら校長はそれこそ自らの若き日々を「懐旧」していた。

ガンバレ!時代は君たちのものだ。応援している。

 


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美しくあること

H30.11.20

第148号

 先日から事務所の窓口にも白や黄色の菊が飾られている。やはり学校内の至る処に花があるのはいい。だが、学校内に花があることに気づいていない子どももいるようだ。人はそこにあるものを見ているようで、見ていないものだ。そこにこころが存在しなければ、見ていてもその存在すら意識にはあがらない。つまり見ていないことと同じになる。

もしかしたら「教える」という仕事は、見ているようで見ていないもの、意識しているようで意識していないもの、そんなものの存在に気づかせ、その意義を説くことなのかも知れない。振り返ってみれば、生きてきた道のりにおいて細い狭き道の傍らに咲く小さな花のようなささやかな出来事や事柄を、どれだけ見過ごして来ただろう。そんなことが反省と共に、少しずつ見えるようになるといい。そしてそんなものの存在が子どもたちの傍らにも沢山あって、それに気づかないでいる。そんなことを少しでも見えるようにしてあげられたらきっと子どもたち一人一人がシアワセに一歩ずつでも近づけるのではないだろうか。そんなふうに思える。

先日書評か何かで、こんな文を目にした。

「美しくない人には何も起業できません」。「ビジネスを起こそうとする少年少女は美しく格好良くあって」。

そんな文であった。本物か偽物かを「美」という観点で見抜く力が無いと、どれだけ偏差値の高い教育を受けていても成功することは無い。そう言った趣旨のようだ。私自身は、成功を収められるか収められないかは別にして、「こころ美しくありたい」という願いを基本に生きることは最も重要だと思っている。全てにおいて「今自分がとった行動は、美しいか?美しくないか?」という基準で判断すれば、大体の結論は出る。そう考えると、人の美意識を育むことは教育においても最も重要なことだと理解できる。

できるならここ向陵高校で学ぶ子どもたちが、一人でもそのようなことに気づき自らを磨いていってほしい。そんなことをいつも願っている。しかしまだまだ指導力が未熟であること、そしてこのことは全て学校教育で完結することではないこと、そんな難しさもあると感じている。

学校に北信越大会、全国大会に出場する部の懸垂幕があがった。子どもたち一人一人が、出場する部員のみならず、自分たちのこととして喜びを分かち合うと共に、自らの人間的向上も合わせて努力しようと感じてくれたら嬉しい。


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大学、企業訪問

H30.11.19

第147号

 今朝もピロティには華道部のOさんが生けてくれたカーネーションが、優しく微笑んでくれているよう。月曜日の朝、とりわけ空がくすんだような日は、花の艶やかさがちょっぴりこころを軽くする。取り分けあれもしなければいけない、これもしなければいけない、と気ばかり焦ってこころが重く感じられる日は、花があるとこころが清々しくなって嬉しい。

色んな会合で様々な方々のお話を聞く機会がある。自分の時間を他のために生かしておられる方々の活動を知る度に、自分の至らなさを思う。なかなか自分はそうはなれない。いつまでたっても、自分の目先のことばかり追いかけており、果たしてどれほど周りの人の為に何かをしているだろうか。そう思うとやるせない。幾つになっても未熟さを思う。

さて、先週2年生は進路学習の一貫として、企業や大学を訪問した。ただ聞いたり、授業で学習したりするだけでなく、自分が将来働く会社を訪問し、実際にそこで企業の人から説明を受けて働くことについて学んだり、その企業の在り方や方針等を直接見聞きしたりすることは重要な経験になるだろう。

また大学についても、その大学が学生に対してどんな教育方針を持っており、そこで何を学べるか。実際に大学の先生から、直接学ぶ内容や学生の様子などを教えて貰うことも貴重な経験になるだろう。

2年生の子どもたちの中から、今回の訪問を契機として自分の目標が明確になり、その実現に向けて努力しようと考える者が一人でも二人でも現れたら嬉しい。

そういえば子どもたちが訪問した大学の先生が、私のかつての教え子であった。早速子どもたちの様子について教えてくれた。非常に熱心に話を聞いてくれたり、質問もしてくれたりしたそうで、そんなメッセージを貰って私も感激している。ありがたい。

子どもたちには、もっともっと自らの良さに気づき、それを伸ばしていって欲しいと感じている。いつも応援している。