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明るさがこころの春をもたらす

H30.2.19

第196号

 今朝など随分と早くに明るくなる。いつものように朝食を済ませ新聞を読み学校へ行く準備をしていると、少しずつではあるが辺りが明るくなっているように感じられる。それでも私が学校へ向かう時刻はまだ暗い。ちょうど学校へ着く頃に明るくなる。だが、今までは学校へ着いても懐中電灯を照らしながら校舎へ入っていたのだから、随分と明るくなった。

知らず知らずのうちに季節は冬から春へと、寒くなったりちょっとだけ温かくなったり、そんなことを繰り返しながら季節は移る。この時期まさに三寒四温である。

昨日も一昨日も在所の仕事があった。ふと公民館にある数本の桜に目がいった。まだ雪の残る枝枝にはちゃんと芽が花開くのを夢見て待っていた。「休眠打破」。もうすぐ君たちの季節がやって来る。楽しみである。

数日この「校長室だより」を休んだら、先輩方や友人、教え子から「どうしたのですか?心配していたよ」と優しい言葉を沢山いただいた。中には「なにかあったの?どんなことがあっても私は先生のファンです」などと、優しい言葉をいただき嬉しい気持ちで一杯である。

こんな私なので今オリンピックで活躍中のアスリートたちが「皆さんに支えられて…」とか、「皆さんのお陰で…」などと話すその言葉の重さを身を以て理解できる。全てはいつもお陰様なのだ。

ちょうど昨日一昨日と城端別院の布教師の方からお話を聴く機会があった。中でも私が一番学んだことは、忙しい忙しい、あれもせねば、これもやらねば。そうこころが不安定である「散心」の状態から、あれやこれやとこころ落ち着かない状態から、何ものにもとらわれない常にこころを安定した状態にしておかねばならない。所謂「常心」が大事だということだ。頭では分かるのだが、なかなか実行できるかというとまだまだである。修行が足りない。

さて今朝も玄関には華道部のIさんが飾ってくれた花々が美しい。ピンクのバラに春待つ君の温かさを想う。中でもユーカリの葉が何だか私の気持ちを優しくゆったりと包み込んでくれた。きっとかつて訪れたことのあるオーストラリアの赤茶けた大地と可愛らしいコアラを思い出したからに違いない。何だか丸いユーカリの葉はちょっぴりユーモラスで私に「ゆとり」をもたらしてくれた。ありがたい。

職員室の机上の百合は見事に花開いた。まるでこの春新しく社会に飛び立つ卒業生のようである。卒業生といえば今年の卒業式は、全員で歌を歌うことに決定した。また卒業生代表の別れの言葉も入っている。昨年時間の関係からとは聞いていたが、ただ淡々と過ぎて行く式に寂しさを感じていたので、そんな提案を快く受け入れた。楽しみにしている。

また、職員室の私の机の上には卒業生からの感謝の言葉もあった。特に何をしたわけでもない私に、「毎朝の校長先生のあいさつは私たちに元気をくださいました」。そんなふうに書かれていて、ただただ子供たちに感謝した。やはり子供たちは何よりも私に元気をくれる存在である。ありがたい。


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腱鞘炎

H30.2.16

第195号

 先日からずっと肘の痛みが続いており、湿布を何度も何度も貼るのであるが一向に改善しない。挙げ句に特に重いと感じないものまで持ち上げるのに苦痛を感じる始末。今までに少しくらい痛みを感じても、湿布をして2~3日経てばいつの間にか治っていた。今回もそうなる筈であった。ここで筈であったというのは、そうはならなかったのである。2週間経っても3週間経っても一向に痛みはひいていかない。相談室で子供たちと話していると、「校長先生、それ何か悪い病気かも知れんから早く病院に行かんな!」と言う。家族からもそう脅されていて遂に病院へ行って来た。

レントゲンを撮った後、「はい手首下げて。痛ないやろ?はい上向きに。痛いやろ!肘のここ痛ないけ?」「痛いです」「ああー、これ腱鞘炎やわ。そこの握力計持ってきて。力はいるかな?」「大丈夫だと思います。痛い!力はいりません」「右どれだけ?」看護師さん「4です」「左は?」「50位です」

一瞬にして診断が終わり。治療を終えた。右腕は現在ちょっぴり楽になっているが、まだ少々痛みがある。昔F中で校医さんとしてバスケットボール部の子供たちをよく診て下さった。F中のスポーツドクターであった。それにしても長い経験から一瞬にして何処が痛いのか、どう処置するのかを瞬時に判断し治療していただけた。ありがたい。

そんな気持ちと同時に私たち教員も長い長い時間子供たちと共に生活しながら、この医師のように的確な判断を瞬時にできているだろうか。仮に瞬時とは行かなくとも、間違った判断を下したり、むしろ悪化する手当をしたりしていないだろうか。甚だ不安である。

私たちの職業で最も始末に負えない病は、「思い込み病」ではないだろうか。今までこうやって来たのだから、これで何処からも誰からも文句が出なかったから大丈夫だろう。果たしてそれで良かったのだろうか。最も重要なことは、本当に子供がきちんと納得していたのだろうか。人は往々にして自分のやり方が唯一正しいと思い込んだときに間違いを起こす。特に過去に成功経験を持っていると、そんな病に陥ることがある。

例えば「俺は昔学校の校長だった」とか、「俺はかつて会社の支店長だった」、「私はこれでも社長だった」、「会長だった」。実はそれは経歴としては立派なものなのかもしれないが、依って立つ基盤が違ったときにその経験が全て絶対とは言えない。

それだけではない。自分が生きた時代とこれからを生きる人たちとは生きる社会が違う。勿論道徳的なものは普遍であり大切なのだが、そうではなく時代と共に変化するものも数多くある。自分が現役として通してきたやり方が常に正しいと思い込んでいる人ほどやっかいなものはない。常に学習し自らを高めて行かなければならない。

先に生まれた者として、教師として常に社会の状況と学校の置かれた立場等を的確に判断しながら自らを向上させて行くことが必要である。十年一日の如く生きるのは、ちょっぴり今の世の中では難しいと思う。

さて今朝ピロティを眺めるといつもの場所に花は無い。

「ああー、残念だなあー。今日は花を愛でられないなあー」と思ったら、書の傍に花があった。赤とピンクのカーネーション。この花を眺めていると何だか優しい気持ちになるから不思議である。その横の枝は?何と紫陽花であった。この時期の紫陽花かあー。何だか生けた人のこころが伝わって来るような紫陽花である。ありがたい。

 

先日女子ハンドボール部の子供たちが、全国大会出場の報告に来てくれた。こうやってささやかであるが子供たち一人一人の顔を見てしっかりと言葉をかけてやりたい。力のない校長ができることはそれくらいのことだ。けっして恵まれた環境とはいえない中で、本当に子供たちはがんばっている。そんな子供たちをいつも愛おしく思う。がんばれ!向陵生!


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優しさ

H30.2.13

第194号

 今日も随分天候が荒れている。延び延びになっている定期考査を何とかしなくてはならない。昨日も夜は会合に通夜にと忙しかった。その間も今日の判断をどうするのか考えていた。昨日の段階では、はっきりと今朝の通学に影響のある運休はしっかりと出ていなかった。今朝6時半の段階でどうするかを決定することとした。

学校に着くと驚いたことにいつものO先生だけでなく、T事務長さん、Y教頭先生が揃っておられた。昨日からの雪が私同様心配だったのだろう、朝早くから学校につめておられたのだ。ありがたい。お二人とも相談して、始業を一時間遅らせることとした。スクールバスは砺波路線のみ一時間遅らせることとして、後の路線は通常通りとした。早く学校についても試験のための勉強をしていれば無駄ではない。そんなことを思った。

T事務長さんがスクールバスの会社にその旨知らせて下さった。特にトラブルもなくスムーズに連絡できた。朝からの「今日は学校あるのですか?」という電話も殆ど無かった。こう考えるときちんと決定し備えておくということの重要性が分かる。子供たちには何度も何度も大変な年だが、辛さ厳しさに耐えてこそ花開くのだと考え、がんばってほしい。

T事務長さんの姿がしばらくして見えないなあーと思っていたら、いつの間にか玄関の雪をすかしておられた。寸暇を惜しんで折角朝早く来たのだから、子供たちのためにその時間を有効に使おうとしておられる姿勢に学ぶことが多い。ありがたい。

ステキなお二人の先生の姿を見ていて「優しさ」って何だろうと、改めて考えた。優しさには厳しさや強さが含まれていなければならない。なのに見せかけだけの中身のない優しさが、世の中には何と沢山溢れていることだろう。優しさには自らを律する厳しさがなければならないのだと熟々思う。そんなことを感じた今朝の一時であった。

ある雑誌に立原 正秋さんの言葉が紹介されていた。

「勁さは厳しさに裏打ちされ、厳しさはやさしさに裏打ちされ、やさしさはただしさに裏打ちされていなければならない」

この言葉に今一度自らの生き方を振り返る。もうそんなに時間が無いという自覚はある。ならば今一度背筋を伸ばして凛として、自らの意志に従ってやりたいことを選んで生きて行こうと思う。

先日全国大会に出場する男子ハンドボール部の子供たちが校長室に挨拶に来てくれた。並びきれないほどの数の子供たちが、元気に笑顔でいてくれることに感謝した。ありがたい。